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終戦の日に [でもクリ日記]

私は幼い頃から、戦争に傷ついて来た両親の話を聞いて育ったので、
どんなに論理的に武器を持つことの正当性を主張されたとしても
私は戦争は絶対嫌だし、絶対に武器を持ちたくない、と思っています。

ただ、戦争をしないでいること、武器を持たないでいることは、
実は武器を持ってしまうことよりも、
ずっと難しいことだと思います。

武器を持たない生き方を貫いて行くためには、
心の中に、かなりしっかりとした「道徳性」、
もっと突っ込んで言ってしまえば、「宗教性」がなければ、不可能です。

「宗教性」とは、実際に何かの宗教を信じているのか、
信じていないのか、ということではなく、
目に見えるものやお金に価値観を置かずに、
目に見えないもの、人間の尊厳とか、生き方とか、良心とか、
そういう価値観を大切にしているかどうか、ということです。
(非常に大まかなとらえ方だとは思いますが・・・
無神論者でも宗教的な人、という方はおられると思います。)

武器を持たずに生きるとは、
ただ武器を持たなければ良い、ということではなくて、
相手が武器を持って、私に切り掛かって来た時でさえ、
自分の全人格を賭けて、丸腰で相手の前に立つ、ということです。
(聖書にある、「右の頬を打たれたら・・・」という言葉も、
こういうことを指しているのだと思います。)

普通、できないです・・・。
特に、目に見えるものしか信じない人であれば、
これは愚かな自殺行為としか思わないでしょう。

でも、この決心がなければ、本来、
平和の実現は、できないのだと思います。
日本国憲法の第九条は、そういう覚悟を背景にして書かれた、
凄い条文なのだと、私は思っています。

日本人の多くが、今やその
「宗教性」を失ってしまったのかもしれません。

でも、この「宗教性」を一人一人が持ち、
日々各人が心の中で闘いをするのでなければ、
真の平和は決して訪れないのだと思います。

私はといえば・・・弱く、だらしない人間です・・・
おまえはその闘いが日々できているのか、と問われれば、
決してできていますとは言えない・・・
すぐに怒ったり、人を赦せなかったり・・・
戦争の種が毎日、心の中に生まれます。

それでもやはり、人々が武器を取って殺し合うような世の中は嫌であり、
誰かを殺したり傷つけたりする経験は絶対にしたくないのです。

私は武器を持って切り掛かられた時に、
堂々と丸腰で立つことができる者でありたい・・・

そしてやっぱり日本という国が、
堂々と軍隊も核も持たずに、
平和の志を貫ける国であってほしい・・・

非現実的、という批判を承知の上で、私はやっぱりそのように願います。

それは、親から教えられた戦争の悲惨さという理由、そして
何よりもキリストの十字架に従う者として、
命をかけて、そうありたいと思うのです。
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さくらそう

戦争のあった時代、天皇陛下を神としてあがめ
天皇のため、日本のためと闘った人たち、自ら武器となり敵機に突っ込んでいった「神風特攻隊」も、ある意味、宗教性といえるのかもしれないなあと思います。
人々を愛し平和を愛する地球であって欲しいですね。
めうさんが強く持っているものは、「宗教性」という言葉よりも
キリストにある「信仰」という言葉の方がぴったりはまるような気がします。

by さくらそう (2009-08-16 16:33) 

さんび

めうさんの日記が更新されるごとに毎回色々・・・考えます。
(おのろけカテゴリー以外(爆))

(・・・決して、変な意味あいで【考え込む】とかではないのです・・・
良き意味で、「こういう観点からも考えないとなぁ・・・とか
自分には「このスピリット」はすこ~ん!!と抜けているなぁと
反省材料になったりと言う意味合いですので「前向き」な(?)
考え込みと思ってくださいませね)

・・・日記を拝読して、聖書に記されている「もうひとつの」
武器@「ことば」を感じました。

武器を持たない日本・日本人であってほしいのと同時に
今選挙運動まっさかりですが、
ののしりあい・・・・エトセトラ(:_;)

でも、自分の心の中に残念ながら、ある!スピリット@言葉の武器。

主よ、どうか今週、わが「舌・くち」が一言でも麗しい言葉を
発する<心を!!>与えてください~。
by さんび (2009-08-16 20:44) 

めう三毛女

さくらそうさん、
そうですね、私自身のそれは、他でもない、
キリストの神様への信仰です・・・(^_^)

一方、宗教は政治に利用されると、
却って何も信じないでいるよりも、恐ろしいものだなぁ、
と思います。

さくらそうさんがおっしゃるように、
かつての日本がそうでしたし、
キリストを信じていても、「神よ、ご照覧あれ。」
と言いながら、イラクに爆弾を落とした人もいて・・・

いつも目を覚まして、
自分とキリストの十字架の間に、何も余計なものを
差し挟まないように注意していなければ、と思います。
by めう三毛女 (2009-08-16 22:07) 

めう三毛女

さんびさん、
武器@「ことば」ということ、本当にそうですね。
舌先三寸で人を殺す、というような言葉もありますね・・・

言葉って、それによって人間同士が理解し合えたり、
絆を確かめ合ったりできる、すばらしい可能性がありますけれど、
使い方によっては、人を殺すこともできる、恐ろしい凶器に
なってしまうのですね。

私・・・ラブラブのダンナさんがいますけれど
(と、さりげなくおのろけカテゴリを挿入・・・(^_^;))
それでもたまに、愛するダンナさんが悲しむであろう
言葉が頭に思い浮かんで、
あっダメダメ・・・と打ち消すことがあります。

それでも、実際にその言葉をダンナさんに言って、
ダンナさんを傷つけたり悲しませたりするのか、
あるいは、自分の中で、「あっダメダメ・・・」と
思って、言わないでいられるのかで、
(その言わなかった言葉は、イエス様のもとに持って行きます)
二人の関係は全く違うものになって行くのだなぁ、と思います。

そのひと言を言ったから、愛する人を永遠に失う、
ということもあるのだろう、と思います。

う〜む・・・私もさんびさんのブログやコメントで、
いつも色々と深く考えさせて頂きます・・・
これからもよろしくお願いいたしま〜す。
by めう三毛女 (2009-08-16 22:27) 

にぼし

武器を取るという直接的な争いはもちろん悲しいものですが、
誰もが加害者となりうる平和な現代に潜む「スウェットショップ」など
の恐ろしさにも、敏感になりたいと意識しつつ、やはりまだまだ
勉強不足で・・・・・・祈るほかに方法が見つからない今日です・・・・。

素敵な旦那さまらしく・・・・・・それはホントに喜ばしいです♪♪
by にぼし (2009-08-17 14:34) 

めう三毛女

にぼしさん、
恥ずかしながら、「スウェットショップ」、
言葉としては存じませんでした。
調べて、あぁ・・・とわかった次第です。

私も、自分がたまたまその事実を知る機会があった
製品については、意識をするのですが、
普段自分が使っている物や食べている物すべてについて、
それがどんな人々によって作られたのか、
知らないことの何と多いことでしょう・・・
先進国に暮らしているだけで、
私達は加害者になっているのですね。

そういえば、新宿のホームレス支援団体「もやい」では、
日本の貧困問題に取り組むうちに、
世界規模の貧困問題にも目を向けるようになり、
「もやい」の「こもれびカフェ」では、
フェアトレードコーヒーを出しているとのことでした・・・

一方、日本でも、貧困の中にある人々にとっては、
100円ショップがあるからやっと食べられるものがあったり、
そろえられる生活用品があったりするのも事実で・・・

本当に祈るしかないことが多いです・・・

*******
私の日記は、「おのろけ」カテゴリーをはじめ、
時々珍妙な記事が挟まりますが、おゆるし下さい・・・
(^_^;)
by めう三毛女 (2009-08-17 16:12) 

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