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研究にハマる [でもクリ日記]

このところ、私の体調不良は少しずつ改善され、
身体が少し動くようになって来ました。
色々とご心配頂いた方々、ありがとうございます。

それで、最近の私の課題は、私の精神的な部分に移りつつあります。
この日記を以前よりご覧の方は、既に気づいていらっしゃると思いますが、
私の精神的な傾向は、ネガティブ思考、
セルフイメージが低いゆえの、うつ傾向です。

本格的に辛い時期は十年以上前に脱しているのですが、
(カウンセラーの助けで、
アダルトチルドレンの自分を保護しました。)
このところの○うねん期による体調不良を通して、
「できないこと」「じっとがまんすること」
が増えるにつれて、
セルフイメージが更に低下、ネガティブ思考も強まって、
精神的にも辛く感じられることが多くなって来ました。

それで、一年前ぐらいから、時々やっていたのが、
「当事者研究」。
(twitterでは自分の研究プロセスを時々つぶやいておりました)

北海道の「べてるの家」から広まって、
今では全国のあちこちで行われるようになり、
そして、私が関わっていた(現在お休み中)
池袋の路上の方々の支援でも実践されているこの研究を、
自分自身でもはじめていたのでした。
(当事者研究の詳しいことは、
http://bethel-net.jp/
をご覧下さい。)

といっても・・・うちの場合は私がだいたい一人で研究して、
ダンナさんが研究員として助けてくれる、という、
たった二人の研究所なのですけれど、
(ダンナさんは今のところ、研究の必要はないらしい。)
それでも研究すればする程、
自分の気がついていなかった大事なことを発見できて、
それによって少しずつ、辛かったことがそれほどではなくなって行ったり、
生活や仕事の仕方で、私に向いたやり方を見つけることができたり、
うれしいことが多いため、
最近は味をしめて、頻繁に研究するようになって来ました。

これまでは印刷文書の裏紙に書いて研究していたのですが、
(研究結果は、冷蔵庫に貼っておいて、
後でダンナさんの意見をもらったり、見直したりする)
一昨日とうとう、研究ノートを作っちゃったよ。

これ、学校とか、職場とか、家族とか、
色々な仲間でやるととても良いと思います。
学校なんかで、当事者研究を体験しておくと、
子供達がこの厳しい時代を成長して行くのに、
とても良いんじゃないか、と思ったりします。

すべての人がこれで良くなる、という訳ではないと思うけれど、
(そういう思考が合わない人もいるかもしれないし、
そういう場の環境を整えるのも、結構難しいかもしれない)
色々と辛さや息苦しさを感じている人には、
とても良いのではないか、と思います。

私の詳しい研究結果は、まとめるのが結構大変なので、
いずれ気が向いたらアップするかもしれないし・・・
しないかもしれない!(^_^;)

それで、何でこれが「でもクリ日記」カテゴリに
入っているかというと、
私の場合、当事者研究を進めて行くと、
神様の言葉が自分にとってはどうなのか?
という問題にもなって行くなぁ、と感じたからなのですね。

でも、そういうことは関係なく、
どんな信仰や主義を持っていても、お薦めです。
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Y叔母の死 [でもクリ日記]

前回の記事から、随分と時間が経ってしまいました。
心身ともに慌ただしく過ごしていたら、
なかなか文章としてまとめることができなかったのです。

Y叔母は、11日に亡くなりました。
10日の夜に容態が悪くなって、
夜中ずっと、母が一人で付き添い、
11日の朝に静かに亡くなったそうです。

それからは12日にお通夜、13日にお葬式と、
すべて慌ただしく過ぎて行きました。

葬儀は、家族と、仕事や活動をいっしょにして来た仲間が送る、
無宗教の葬儀で、
簡素ながらも、心のこもった葬儀になりました。

母はY叔母が亡くなる前、それとなく、
母自身の信仰の話をしたそうなのですが、
(母もクリスチャンなので)
強い信念をもって一生を貫いて来た叔母からは、
「クリスチャンって、ずるいんだね。」
と、笑いながら言われてしまったそうです。

叔母があちらで今、どんな思いを持っているのか、
神様とどんな関係になっているのか、
私にはわかりませんが、
叔母が一生をかけて、平和を作るために、
社会の隅に追いやられて傷ついた人々のために、
働いて来たことを、
神様が見て下さることを祈るばかりです。

私は葬儀後、15日に帰って来たのですが、
母は葬儀後も、ウィークリーマンションに滞在しながら、
様々な手続きを行って、20日にやっと帰って来ました。

80歳の母と、70代後半の叔父(もう一人の叔母、R叔母のダンナさん。
R叔母はもともと持病があるのですが、今回ショックからなのか、
体調を崩して、葬儀後ほとんど動けなくなってしまった)が、
ほとんど二人で駆け回ったそうです。

二人とも、よく体力がもったなぁ、と思いますが、
何とか今のところ、インフルエンザや風邪からは守られて
いるようです。

まだ、独り暮しだったY叔母の家は、
救急車で運ばれた時のまま、
ほとんど手つかずのまま残っているのですが、
今は雪が積もっていて、年寄りばかりで集まっても、
とても整理などできないため、
(しかも、私の祖父母の頃からの物が、たくさん残っている)
4月に雪が融けた頃に、ゆっくりとみんなで集まって、
整理することにしました。


話は前後しますが、
ひとつだけ、ちょっと不思議な体験をした話を・・・。
(極度の恐がりさんは、以下は読まないで下さいね。)

お通夜の夜、母と私で、叔母の夜伽をしました。
(叔母の遺体と一晩過ごしたのですね。)
宿泊するための施設ではない、葬儀場だったので、
あんまり深くは眠れず、
寝ぼけていたのかもしれませんが・・・

明け方、母がトイレに起きて行って、しばらくすると、
叔母の棺のあたりで、何だか人が動く、
衣擦れのような音がします。

「あれ?さっきトイレに行ったのに、
もう帰って来て、叔母の顔でも見ているのかな?」

と寝ながら思っていたら、母がトイレから戻って来ました。
「じゃあ、誰!?」と思って、顔を上げて棺を見たのですが、
誰も居ませんでした。

う〜む・・・私はそういう不思議な体験は
これまでにしたことがなかったのですが、
あの音は叔母だったのか・・・?とちょっと思いました。

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叔母の決断 [でもクリ日記]

昨年9月より癌の闘病をしていた叔母、
断続的に放射線と抗がん剤の治療を続けていましたが、
昨年30日に自宅にいた時に急に容態が急変して、
救急車で病院に運ばれました。

放射線の副作用として、
放射線性肺炎になってしまったのでした。

強いステロイド剤による2回に渡る治療を
行ったのですが、あまり効果が出ませんでした。

放射線性肺炎にかかる人は、
癌の放射線治療をしている方のうち、100人に数人、
しかもほとんどが治療の必要がないぐらい軽いもので済み、
たとえ重症化したとしても、たいていは、
ステロイド剤の治療で回復できるけれど、
叔母はまれなるケースで、
なかなか回復できませんでした。

それで、この日記には書いていなかったのですが、
正月早々、叔母のヘルプに行っていました。
叔母の姉である、私の母は、今も、
看病のためにウィークリーマンションを借りて、
毎日病院に通っています。

場所は、石川県・・・北陸は大雪・・・
天候が度々荒れる中を、母は一人でがんばっています。

そして、先ほど母から電話があったのですが、
叔母は、これ以上無駄な治療をしたくない、と、
主治医の先生と叔母の間で話し合って、
栄養剤の点滴を抜いてもらった、とのことです。
母が今日見舞いに行った時には、
もう点滴が抜かれていたそうです。

叔母は、あちらに行くことを決めたのです・・・

母にはそれは、とてもショックだったことと思います。
私と母は、たとえ酸素ボンベといっしょに生活するようになっても、
車いす生活になっても良いから、
生きてほしいね、と言い合っていました。

母はそれを叔母に言ったそうです。

でも、叔母はこれまでも、ずっと独身で、
独りで自分が信じる道(それが困難な道であったとしても)を選び、
泣き言をはかず、黙々となすべきことをして来た人です。

だからそれは、叔母らしい最後の選び方なのだと思います。
母もそれを理解して、今日最終的には、
叔母に、その決断を尊重する、と言うことができたそうです。

でも、そのことを報告してくれながら、
電話の向うで母は泣いていました。

子供の頃の苦しい時代をいっしょに生き抜いて来た妹であり、
(母の家族は戦時中、大連に居ました。
戦後はとても苦労したようです。)
兄弟の中でも、一番心が通じ合って来た妹です。

80歳になった母が妹を先に送るのは、とても辛いと思います。
母はクリスチャンで、神様にお祈りできることは救いですが、
今この瞬間、母がウィークリーマンションの一室で、
独りで過ごしていることを思うと、とても心が痛みます。

これからは、叔母をみんなで、どんな風に送ることができるか、
ということが大切になって来るのだと思います。

できれば叔母にも、神様を知ってほしいと思うけれど・・・
でも、そのあたりも神様にお任せしつつ行きたいです。

私も近いうちにまた、叔母の看病に行くと思います。
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憎しみからは・・・ [でもクリ日記]

昨日、NHKの大河ドラマ、「龍馬伝」を見ていて、
そうだよなぁ・・・と深くうなずいたセリフ・・・

「憎しみからは、なんちゃあ生まれん(何もうまれない)」
(このセリフは、このドラマのテーマのように
なっていて、度々出て来ます)

「そんなこと言ったってさぁ、○○はひどすぎるもん、
赦せないよ!」

という考えが、普通だったらよぎってしまうこのセリフ、
でも、龍馬が本当に、このセリフの通りに生きて、
敵同士を結びつけ、
自分自身も敵対する人を受け入れて、
どんどん握手して行く姿を見ると、
その生き方の真実味に、沈黙させられます。
(まぁ、ドラマだから、カッコ良く演出されている
部分もあると思うけれど、歴史的に、
そういう行動をしたことは本当なのですよね)

昨日は特に、身分差別の激しい故郷で
様々な禍根のある相手、とりわけ、
自分の大切な友を殺した藩主、容堂公を、受け入れ、信じ、
命がけで説得する場面がありました。

私はそれを見ていて、
聖書の「平和を作る人は幸い」の言葉を
思い出しました。

平和を作ることは、とても難しい。
自分自身の痛みを厭わず、犠牲を払わなければならない。
過去の恨みを葬り去り、それを愛で覆わなければならない。
赦せないことを、「赦す」と宣言しなければならない。

彼は、日本の未来のために、
そういう困難に挑み、打ち勝ち、
そのために若くして死ぬことになった訳ですが・・・

実際、そういう生き方をせよ、と
クリスチャンの私も、神様から言われているんだなぁ・・・

それは、どこかのドラマの中での話ではなくて、
昔話でもなくて、

現実の私が、今ここでそのように生きろ、
と言われているんだなぁ・・・

私は一体どこまで、受け入れ難い人をも受け入れ、愛し、
平和を作ることができているのだろうか・・・?

***********

ところで、もしも龍馬さんが今の日本に居たら、
何をするのかしらん?
中国に出かけて行って、温家宝さんに何て言うかな?
なんて、ダンナさんと話し合いました。
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ダブルスタンダード [でもクリ日記]

私はクリスチャンで、キリストに従うと心に決めたのですけれど、
世の中は、キリストの生き方とは正反対の価値観で動いています。

だから、クリスチャンになると、心の平安は得られるけれど、
同時に自分の中にあるキリストの生き方と、
そうではない世の中との間で、
絶えず闘いが繰り広げられるようになります。

特に戦後の日本に生まれた私は、
生まれた時からずっと、神様なんかいない、
能力の高い者が偉い、お金はあった方が良い、
地位は高い方が良い、
そうしないと、みじめな者として捨てられる、
という価値観の中で育ち、

日常生活でも文明の利器に囲まれて育って、
それらがない生活、というものを想像すらできないほど・・・

キリストは、
そんなものよりももっと大切なものがある、
それらをたとえ失ったとしても、神と人への愛を失ってはならない、
と、私の中で言い続けています。

でも、現代文明の価値観にどっぷりと浸かって生きる私は、
自分が「当然」と思っていたことに関して、
キリストが「そうじゃない」と言っていても、
聞こえないことが多いのです。
そして、愛のない、醜い選択をしてしまって、
自分や周囲がやっぱり傷ついてしまう、というようなことが
結構あったりします・・・。

でも、そうやって自分や周囲が傷ついたことがすぐにわかって、
悔い改めて、軌道修正できることは、まだ良いのです・・・

自分の無意識の中にしみついている、偏見やトラウマには、
自分でもなかなか気づけないから、
そういうものに自分が振り回されてしまっている時は、
キリストの声なんか、ほとんど聞こえなくなります。

自分や周囲が傷つきまくっているのに、
愛のない言動をず〜っと続けている、ということがたまにあります。

そんな時って実は、クリスチャンは、
クリスチャンでない人よりも質が悪い、
まるで悪魔のようだったりします。

ものすごく人を傷つけておいて、何とも思っていなかったりします。
(何せ、無意識だからね)
キリストをもう一度十字架にはりつけておいて、
「私は間違っていない」なんて言っていたりします。

礼拝メッセージで、自分の罪にあてはまることが語られたとしても、
そんな時は、「私のことじゃないもんね、○○さんのことだね」
なんて、他人事のようにスルーしてしまったりします。

あぁ・・・私にも気がついていない、
そういうところがあるんだろうな・・・

しかし、そういうものが、人を分断し、傷つけて、
人の心と身体を殺すものとなって行く・・・
恐ろしいことだと思います・・・
(歴史的にも、クリスチャンが時として恐ろしい残虐な行為を
していたりするのは、そのせいなのではないかと思います。)


そんな恐ろしい者でも、感謝なことに、
キリストに救われている以上、いつの日か、
その無意識の罪に気づいて、悔い改める希望だけは残されています。
(気づかないまま死んじゃうこともあるのかな?)

きっと、キリストは毎日、
私達が一つ一つの隠れた罪に気づいて、
悔い改め、本当のキリストの弟子になって行くことを
待っておられるんだな・・・
毎日、恐ろしい私の罪のために、血を流しながら、
私を支え、守り、導いて下さるんだな・・・

だから、今日も欠けたところだらけの私だけど、
希望を持って生きようと思います。
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弱さを覚える [でもクリ日記]

気候が寒くなったとたんに、風邪をひいている私です。
多分、教会で流行っていたのをもらって来たと思われます・・・
(^_^;)

虚弱な私がそれでも、ここ半年ぐらいは風邪をひいていなかったので、
「おぉ〜、久しぶり・・・」という感じです。
(ずっと微熱続きだったせいで、風邪には抵抗力があったらしい!?)

でも、10月に入って、さぁ、これから色々な仕事が再スタート!
と思っていた時だけに、
「ガクッ・・・」という感じではあります。

でも、最近の私の学びテーマは、どうやら、
「弱さの恵みを知ること」らしい・・・
弱い自分でいること、何もできないでいることを
心の底から受け止めることが、どうやら、
神様が私に与えている宿題らしい・・・

寝ながら読む本にも、
「あんたは弱い、弱いから良い、
弱くなければいけない、
弱いからこそあんたの上に神様が働ける」
というようなことばかり書いてある・・・
(カトリックの晴佐久昌英神父の説教集を読んでいます。
読む度に、私の中の聖霊が生き生きするようです。)

でも、それって本当だよね・・・
私は昔から、身体がどちらかというと弱くて、
ここぞという時に、いつも体調が悪くなったりするのだけれど、
今年ほどずっと悪くて、本当に何もできなくなったことは
なかったのです・・・

記憶力や判断力も悪くなって、
(少し抑うつでもあったと思う)
仕事でポカをたくさんしたり、
友人や知り合いに不義理をしたりしてしまいました・・・
(いつも結構不義理なヤツなのですが、最近は特に)

自分の心身がそんな風になった時、
「弱くて良い」って、聖書でさんざん学び、
教会で何度も教えられて来たのに、
気がつくと、「私はこんなことぐらいはできたはずなのに、
今はできない・・・私はもうダメだ・・・」
と考えていたりします・・・

そして、何が「ダメ」なのか、ということをよく考えてみると、
それは、神様の前にダメだ、ということではなくて、

周りの人に迷惑をかける、
周りの人から、ダメな奴と思われる、
周りの人が怒る・・・

という意味での「ダメ」であって、
神様の前に今の弱い自分がどう向き合うか、ということ、
本当はそれが一番大事なのに、
それはほとんど考えていない自分が居たりします・・・

「できないことは、神様がお望みではないのだと思いなさい」
とマザーテレサが言ったことも思い出しています。
自分が、主にあって良いことだと思って始めたことも、
(その時はそれなりに祈って、確信を持って始めたことだけど)
「できない」状況に今置かれているのならば、
それは神様が私に、今はストップをかけていることであり、

私は周りの人の目を怖がってビクビクしたり、
周りに大きな迷惑をかけている、と自分を責めたり、
自信喪失したりする必要は、全くなくて、
神様を信じて毎日を生きれば良いんだ、
と思います・・・

また、何で、神様は私に今、ストップをかけたのか・・・?
ということも最近考えています。
それは神様にしかわからないことではありますが、
でも、最近私なりに
少しずつわかり始めていることもあります・・・

私は本当にそのことを、主にある喜びを持って、
やろうとしていたのか、
それとも、昔から私の悪いクセである、
「周りの人から認められるために、
それがたとえ好きではないことであっても
わざと辛いことをがんばろうとする」
ということからやろうとしていたのか、

ということを、もう一度、考え直す機会でも
あったように思います。

このことは、本当に心の底から喜んでしなければ、
神様は喜んで下さらないから・・・。

答えはまだよく出ないけれど・・・
そのことに関わることは、確かに御心だと思うのです・・・

でも、私なりの関わり方、というのは、
少し今後祈りつつ考えて行った方が良いのかなぁ、
とも思っています。

きっと、更に私らしい関わり方、というのがあって、
そういう関わり方をすると、神様も、私も、みんなも
もっと喜べるのかなぁ・・・と思ったりしています・・・

まだ風邪ひきの最中なのに、
ひとり言みたいな日記を書いてしまった私でした〜。
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受洗記念日に・・・ [でもクリ日記]

昨夜、ダンナさんに、最近の私の迷いを聞いてもらいました。
それは、私の体力や気力では、今の仕事をこなして行けない、
ということ。

それで、自分が一番辛いと感じている仕事を、一つやめるか、
それとも無理でも続けるのか、ということ・・・。

経済的には、私がその仕事をやめても、
ダンナさんががんばってくれているので、何とかやって行ける・・・
(今の時代にあって、何と感謝なことだろう、と思います。)

むしろ、私が仕事をやめて、もう少し家のことをきちんと
やった方が、ダンナさんの仕事にとっても、
私達の家庭にとっても、良いように思える・・・

でも、問題は、私がその仕事をやめるのが、
神様の御心にかなうのか、ということでした。

その仕事から逃げたら、私は負け犬になる・・・
私はがんばらなくてはならない、と、なぜか強く思っていて、
やめたら私の心は堕落してしまうのだ、と思っていました。
(幼児期からクリスチャンになる以前までの、
30年近くにわたるトラウマのせいかも?)

でも、私はその仕事をやっていると、
なぜかとても辛い。
何が辛いのか、とりあえず言葉で説明することも
できるのですけれど、でも実は、辛さの本質は、
もっとどこか別のところにあるような気もする・・・

それで、ダンナさんにそういうことを伝えたところ、

「一番大事なことは、たとえそこで辛いことがあっても、
自分に何か、そこでやりたいことがある、というか、
使命感があるかどうか、ということだと思います。

それがあるならば、がんばった方が良いけれど、
ないのならば、そこで格闘する理由なんかないし、
やめたからと言って、負け犬になるということとは
違うんじゃないでしょうか?」

と言います・・・。

それで、改めて考えてみました。
私はその仕事場で、何かやりたいことがあったり、
使命を感じていたりするのだろうか?

つまり、神様から、何かをするために遣わされている、
という自覚があるのかどうか・・・?

私の答えは、「NO」でした・・・。

その仕事を始める時、私も自分なりに神様に祈って、
そこに何があるのかはわからなかったけれど、
(厳しい仕事になることは予想していたけれど)
とにかく神様の導きを信じて、今はそこに遣わされている、
と思って始めたのでした。

でも・・・そこに数年務めてみて、
今私がその職場でしていることは、
明らかに自分の居場所ではないところで、
自分の持っている技術や知識を切り売りして、
周囲の人々から常に試されているような恐怖と格闘しながら、
何とか生きながらえている・・・ということです。

そこには私の主にあるヴィジョンが入る余地なんかなくて、
ただ恐怖と不安に打ち負かされないように、
毎回心を武装して行って、闘って、傷ついて、疲れ果てているだけ・・・

私はもう、ここで闘うことを
やめて良い時に来ているのかなぁ?

ただ、辛くて、体力と気力を消耗して、
本当はもっと本腰を入れてやりたいことが
できなくなってしまうような、今の仕事をやめて、
私はもっと、本当にやりたいことに
まい進しても良いのかもしれない・・・

本当にやりたいこと・・・路上の方の支援・・・も、
かなり辛いこと、きついことはあるのだけれど、
そっちの辛いことやきついことは、
私には、喜びや平安に変わるものでもあります。
そして、そのことについては、
何をどうしたいのか、何をやりたいのか、
私にはかなり明確なヴィジョンがあります。
いっしょにがんばりたい仲間もいます。
そして何よりも私の居場所があります・・・

だとしたら、短い人生の半分以上来た今、
辛いだけの毎日に耐えて、何も実現できないままでいるのは、
もったいない。

という訳で、
この夏までで、仕事を一つ、やめることに決めました。
(やめるのは一つだけですが、それで私の精神的、体力的な
負担は、とても大きく減ると思います。)


神様、私に弱さを教えて下さって、ありがとう。
私に本当の居場所を、与えて下さって、
そしてそこに行くべき時を
私にもよくわかるように教えて下さって、ありがとう。
そして、私に神様の御心を知らせてくれる、
ダンナさんをありがとう。

これからも、弱いままで生きて行こうと思います。
(^_^)v
(今日は受洗記念日でした。
そして、今の教会に転籍して1周年でもあります。)
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できないことから学ぶこと [でもクリ日記]

このところ、時々書いているように、
ずっと体調の悪さと同居しています。

もともと体は弱い方だけれど、
それでも昔は普通にできていたことが、
今はできない時があったりします。

微熱が続いたり、フラフラしたり、めまいがしたり、
夜よく眠れなかったり、
食欲が止まらなくなったり、
何もできないほど、ぐったりとしてしまったり。
(若い時には感じなかった、からだの倦怠感!)

心の方も、色々なことが面倒になったり、辛く感じられたり、
考え方がなぜか、ネガティブに傾いてしまったり、
(もともとネガティブなところはあるのですが)
今まで何とも思っていなかったことに、急にイライラしたり、
やらなければならないことを、うっかり忘れてしまったり・・・

でも、こういう状態になって良かったこともあります。
からだが思い通りにならない時に初めて気がつくことって、
たくさんありますね。
そしてそれは実は、人として大切なことだったりします。

自分はもともと何もできないんだなぁ、とわかったり、
でも、できなくても神様から愛されているんだなぁ、とわかったり・・・

それから、私はいつもは割と、自分が誰かの助け手の側にまわることが
多いけれど、
(教師という仕事をしていることや、ボランティアをしていることで)
私が弱くなることで、色々な人が助けてくれたり、
優しい言葉をかけてくれたりして、
それが弱くなった私の心には、とてもよくしみわたるのです。

また、その言葉や援助に感謝しつつも、
自分がそれに値しないような、申し訳ないような気持ちも
少し感じていたりもします。

すると、あぁ、私が今までして来た援助は、
こういった援助される側の、揺れる繊細な心をふみにじり、
暗闇に追いやってしまうようなことはなかったか?
と改めて思ったりもしています。

(私を助けて下さる方々は、全くそんなことはないのです!
ただ、助けられる側には、そういう心理もあることを
久しぶりに思い出した、という感じです。)

それから、自分自身の食生活や睡眠時間など、
生活の仕方を見直したり、
自分の身体に無理を強いないで、いたわる、ということを覚えたり、
もうダメ、とSOSを出すことを覚えたり・・・

きっと最近の、神様のめうのカルテには、
「自らの弱さとその恵みを学ばせる」とか書いてあるに違いない・・・

でも神様、できればもう少し体力を与えて下さって、
私がやりたいと思っている、「あれ」や「これ」
が実現できたら、なおうれしいです。
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トラウマと闘う(ひとりごと) [でもクリ日記]

私にとっての最近の課題は、自分自身のトラウマ。
4歳の頃から30歳過ぎまでの自分自身。
そしてそれを思い出させる今の仕事場(の一つ)。

怖いし、逃げたい。
毎週そこに行くのが、とても辛い。
でも今は、仕事だからそこに行かなくてはならない。
このまま行ったら、本当に精神的な病になるかもしれない、と時々思う。
(昨年秋は、本当にちょっと危なかった。)

とはいっても、実のところ、
その仕事場で私自身が周囲から何かを言われたり、されたり、
ということがそんなにある訳ではない。
(年に1〜2回ぐらい、
ヒヤッとさせられることはあるけれど)

私自身が怖がったり辛く感じたりしているほど、
私はそこでダメな人ではないのかもしれない。

辛い理由の大半は、自分の中にあるのだと思う。
(頭ではわかっているんだよね。)

私は・・・

かつての私自身が、「こうはなりたくないよね、」
と思っていた私になっている。

普段の私はそれでも、「それが私なんだからいいじゃん。
生き方が変わったんだからいいじゃん。」と思っている。

でも、かつて私がいた場所(今の仕事場)に放り込まれると、
私が周囲から、「こうはなりたくないよね、」
と思われている、と感じる。

誰も私にそう言った訳でもないのに、
誰もそう思っていないかもしれないのに、
その場所に行くと、そう感じてしまう。

多分それは、かつての私が、今の私をそう裁いている・・・
のだと思う。

何があっても、私は私でいればいいじゃないか?
今の私にはイエス様もいて下さるのだし、
何を怖がることがあるんだろう・・・?

頭ではわかっている・・・

でも、なかなか拭い切れない、私の心の奥底に沈んだものと、
その場所と、そこにいる人達の空気が合わさると、
どうしても、身の置きどころがなくて、しんどいのですね・・・

むむむ・・・
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どんどん変わる私 [でもクリ日記]

アラフォーとも言いにくいお年頃になって来た私ですが、
最近、自分の価値観がまたどんどん変えられて、
今まで見えなかったものを発見したり、
知らなかった生き方に出会ったりして、わくわくな私です。

春で暖かくなって来たから・・・?
加圧トレーニングの効果で、体調が少し良いから・・・?

それもあるかもしれません。
でも、自分の中に起こりつつある変革に、とてもわくわくするのです。

先日べてるの家の向谷地さんと、初めてお会いしてお話を伺ったのですが、
予想はしていたものの、やっぱりものすごいインパクトがありました。

見た目は、ごく自然体の、写真やマンガで見る通りのムーミンのような方なのですが、
普通のことを話しているようで、実は世の中のほとんどの人が知らないような、
ラジカルな生き方を、しっかりとした確信とともになさっている。

でもそのラジカルな生き方は、実は新しく発見された生き方、
という訳ではなくて、
根本はイエス様の生き方にある・・・
(私はクリスチャンなので、そうとらえました。
向谷地さんもクリスチャンでいらっしゃるので、そうだと思います。)

それは、きれいに整えられたところから生まれたのではなく、
引き裂かれた心や、どうにもならない弱さや、挫折や、絶望や、
そういうものがドロドロと渦巻く中から生まれています。
イエス様の十字架から生まれています。

しかも、喜びや笑いがあります。
(急進的なカルト宗教の信者が見せる、目の色が変わってしまったような喜びではなくて、
もっと落ち着いた喜びだと思う。)

ぜひ、そういう生き方の中に、飛び込んでみたい。
そうして自分がどうなって行くのか、見てみたい。

その中に、私が知らなかったイエス様の新しい横顔が、
見えて来るような気がするのです。
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