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R叔母その後 [日々の出来事]

久しぶりの更新です。
R叔母のその後のご報告です。

叔母はあれから、長いリハビリ期間を経て、
先週自宅に退院しました。

その間に叔父は、介護保険の申請をし(要介護2の結果でした)、
家をバリアフリーに直し、

今は週に3回ヘルパーさんに手伝って頂きながら
療養しています。

認知症の方は、やはり、いちだんと進んだようです。
もう、一人ではトイレができない、
食事をしたかどうか、わからない、
という状況だそうです。

この態勢でうまく行くのか、心配ではありますが、
叔父からは特に手伝いの要請もなく、
何より正式に介護認定がおりたので、
プロの方々の手を借りながら、
叔父の老老介護がなんとか回って行くことを
祈っているこの頃です。
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R叔母 [日々の出来事]

私には母方の叔母が二人います。
一人は今年の1月に亡くなったY叔母、
もう一人はR叔母です。
R叔母は北陸のY叔母の家の近くに
旦那さんである叔父と二人で住んでいるのですが、
2年程前から認知症の症状が出ていました。
Y叔母が亡くなったショックからか、
今年に入ってからは、症状が悪化しているようでした。

そんなR叔母が、春に胸にしこりがあると言って病院に行ったところ、
乳ガンと診断されました。
しかも両胸から別々にできたガンが見つかったのです。
(ステージは、1と2でした。)

だけど、R叔母の認知症はかなり進んでいて、
ガンの検査を受けることさえ、かなり耐え難かったようです。
とうとう、検査中に大きな音が鳴るMRIは
完全拒否で受けることができませんでした。

それでも他の検査を総合した結果、
ガンを手術で取るべしという診断がおり、
(他の治療は考えられない、というような説明でした。)
先週手術をしました。

81歳になる母といっしょに、
私も手伝い(半分は母の心身のサポート)に行きました。

叔母は手術の前に一通り、
病状の説明を主治医から受けたのですけれど、
乳腺科の先生は、認知症の人に慣れていないようで、
難しい言葉をポンポン使うため、
本人は先生が何を言っているのか、よくわからなかったもよう・・・

一応後で家族が、本人にもわかりそうな言葉で説明すると、
その時は、「ふーん」と納得したような顔をするけれど、
ちょっと時間が経つと、何を説明されたのか、忘れている・・・
時には、自分が何の病気なのかも忘れて、
私はな~んにも悪いところはないんですよ、と
主治医に言ったりしている・・・

そんな叔母が手術なんか受けて大丈夫なのだろうか?
という不安はありましたが、
その病院は、認知症治療でも有名な病院で、
叔母もずっとそこにかかっていたので、
両科でうまく連携して頂けるのだろう、
と思っていました。

でも私達は、認知症の人の手術が、
どんなに本人にとっても周囲にとっても大変なものか、
そして、病院という場所が、認知症の人に関しては、
ほとんどまともなケア方法を持っていないということ、
(認知症で名高い病院で、そこにかかっている患者なのに)
実際に体験するまでわかりませんでした。

術後に麻酔から覚めた叔母が、
どうなったかというと・・・

どうしてこんなに胸が痛いのか、わからない。
どうしてこんな気持ち悪いマスクをつけているのか、わからない。
どうしてこんなに身体を締め付けられているのか、わからない。
どうしてこんなにたくさんの管が身体についているのか、わからない・・・
という訳で、恐怖と怒りで大変なことになっていました。
(若い時には、2回も手術を受けた経験があるのに、
それも全部忘れているようでした。)

私は病院に騙された、こんなひどいことになるなんて、
誰も言っていなかった、
こんなところに来るんじゃなかった、
早くこんなもの全部はずして、家に帰る、
こんなに辛いんだったら、もう殺してくれ・・・

そして、わずかに動く手で、管をもぎ取ろうとしたり、
傷口を締め付けているバンドを取ろうとしたり、
酸素マスクをはずそうとしたりしました。

私達(家族と看護士さん達)はその度に、
これはどうしても今、治療のために必要なものだから、
今だけがまんしてね、辛い思いをさせてごめんね・・・
となだめながら、何とか管やバンドの保持に努めましたが、
そういった抵抗は、叔母が起きている間はずっと続くので、
かなり大変でした。

更に二日目になって、少し身体が動くようになると、
怒って実際に強い力で管を引きちぎろうとするようになったり、
帰る、と言って、ベッドから起き上がって歩き出したり、
(それだけ身体は元気になって、めでたいことなのですが)
ますます目が離せなくなりました。

そこで、本来は完全看護の病院なのに、
夜間も家族の誰かが泊まって付き添ってくれないか、
と言われました。

でも・・・そこに居たのは、
叔母の旦那さんと、息子(私には従弟)と母と私。
従弟にはなかなか休暇も取れない仕事があって、
術後3日目は、もう家に帰らなくてはならない。
そして、母も叔父も高齢で、夜中付き添ったりしたら、
絶対に倒れる・・・(昼間の付き添いだけで、かなりへとへとになっている)

私が付き添おうか?と言ったのですけれど、
私も更年期のさなかであり、母のサポートも必要なので、
一晩ぐらいは可能でも、毎夜付き添うのは無理だろう・・・ということで、
夜中は専門の付き添いの方を頼もう、ということになりました。

本当は家族しか付き添いができない決まりがあるそうなのですが、
背に腹は代えられない、ということで、
現場の看護士や医師の方も許して下さったので、
すぐに手配しました。

来てくれる方はすぐに決まり、あー良かった、これで何とかなる、
と、病室に簡易ベッドを運んで頂いて、準備していたところ、
いきなり病院の上層部から、
家族以外の付き添いは絶対にダメ、というお達しが来ました。

更に、夜中に家族が付き添えないのならば、
夜中に本人が暴れた時には、「抑制」しても良いという
同意書を書け、という・・・

つまりは、叔母の手足をベッドに縛り付けるということ・・・

げっ・・・何考えとんのじゃ!?この病院!

叔母はこの病院の神経内科で認知症の治療も受けているのに、
その病院の出す答えが、人を縛ることかいっ!?

そんな野蛮なやり方が、まだ病院にはあるのかいっ!?

かなり驚きました。
ハラワタが煮えくり返りました。
叔母がこれまで、「病院に騙された」と言っていたけれど、
本当に私達は騙されていたんだ・・・
「すぐに帰ろう」と言っていた叔母は、正しかったんだ・・・

私はこれまで、一生懸命に叔母をなだめて、
何とか治療を継続しようとしていたことが、
すべて水泡に帰したように感じて、力が抜けてしまいました。

叔父はそれでも、その同意書にサインしました。

私は・・・もしもこれが自分の親だったら・・・
すぐに認知症患者を縛らずに治療してくれる病院を探して、
できるだけ早く転院させていたと思います。
(実際にとても少ないけれど、そういう方針の病院もあるようですし)

でも、私は叔母の娘ではないから、
家族である叔父と従弟が叔母を縛ることを決めるのならば、
それを非難する資格はないのだ、

またもしも私が、叔母を無理矢理転院させるとしたら、
それは叔母の家庭を踏み荒らすことであり、
私の自己満足でしかない・・・

それでもその日は宿に帰って、
ず~っと割り切れない気持ちで居ました。
本当にこれで良いのか、
私は神様の前に恥ずかしいことをして逃げて来たのではないか?
ずっと自問自答していました・・・

私は26日の夕方に帰って来ました。
(仕事の都合でそれ以上は居られなかったのです。)
26日までは、実際には縛られることなく、済んでいました。
(現場の看護士さん達は、よく訓練されていて、
荒れる叔母に対しても、忍耐強く優しく接して下さっています。
極力縛らずに済むように、夜は睡眠薬を使うなど、
配慮をして下さっています。
そう、現場の方はとてもすばらしいのです。)
今は叔父が一人で看病し、休みの日に従弟が行っています。

あれからどうなったか、まだ連絡はありません・・・

叔母は、本当に手術を受けるべきだったのでしょうか・・・?
あるいは、ガンが完治できなくても、
寿命がつきるまで、なるべく悪化させないように、
痛みができるだけないようにしながら、
叔母が平安に過ごせるような時間を作って行くことは、
できなかったのでしょうか?
(今になって、もっと、そういう方針の病院を探して、
セカンドオピニオンを頂けば良かった、と思います。
実際これが自分の親だったら、私はそうしていたかも・・・)

手術と入院を通して、叔母の心はズタズタになり、
認知症が進んだことは確実です・・・
今回叔母を見ていてわかったことは、
普通の人ならば苦しみながらも何とか耐えられることが、
認知症の人には、理由や状況がわからない分、
何倍も耐え難い恐怖や怒りになり、
その人の心を切り刻むのだ、ということでした。

しかも今回、手術で大変な思いをしているのに、
更に安全のためと、手足を縛られたりしたら、
それは普通の人であっても、耐え難いことなのに、
認知症の叔母には、殺されるにも等しい恐怖を
経験させることになるのではないか、と思います。
いくら扱いにくい認知症になったからと言って、
人の晩年がこんな風であって良いのでしょうか?

こんな、病気を見て人を見ないような貧しい医療のあり方が、
日本にはまだまだ、普通のこととしてまかり通っているのだなぁ・・・

そして私達はどうしようもなく無力だなぁ・・・

はぁ・・・(-_-;)

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ピアノが燃える!? [日々の出来事]

という夢を見た。

私が幼児の頃から30年以上住んだ家で、
私がずっとピアノを練習して来た部屋が燃えている。
毎日練習するから、防音室にしてあった部屋。

部屋のドアを開けると、
私が小学生の頃からずっと弾いている
(ダンナさんと結婚した時に運んで、今も弾いている)、
ヤマハのグランドピアノが
火に包まれているのが見えた。

すぐに119番をしたけれど、
なかなか繋がらなかったり、
消防車が出払っていたりして、
なかなか来てくれない。

家の他のところは燃えていなかったけれど、
ピアノの部屋だけが、激しく燃えていた・・・

夢はそこで終わって、
朝が来て目が覚めた。

起きてから、この夢は一体なんだったのだろう?
と思った。
夢解きヨセフさん(創世記の)が居たらいいのに、
と思ったけど、いないので、
ネットなんかで、火事の夢とか、
大切なものが燃える夢とかって、
どういう意味があるのか、と調べてみた。

占いだと、火事の夢って良いんだってね・・・
(って、目に入って来ちゃったんだもん)

あと、心理的な方面からの記述だと、
大切な物が燃える、家が燃える、というのは、
何かを新しくはじめる、あるいははじめたい、
という心の現れだったり、
あるいは、その大切な物を
失いそうで不安に思っている、
という傾向があるもよう・・・

そう、数年前からあった不安なんだけど、
ピアノを弾くと、指が痛くなるようになって来たんだ・・・
それから、更年期のうつ傾向からなのか、
毎日練習する気力や体力がなくて、
練習をしない日が増えていたんだ・・・

私にピアノを与えて下さったのは、神様。
だから、神様が私からピアノを取り上げられるならば、
それを受け入れよう、とは思って来たのだけれど、
言葉を覚える前から触って遊んで来たピアノを
弾けない日が来るかもしれない、
と考えるのは、やっぱり寂しかったり、
悲しかったり、不安だったりしたんだ・・・

その日、久しぶりに練習してみた。
同級生から教わった、楽器を弾く前のストレッチをして、
30分ぐらい練習して、練習の後は手を冷やしたけれど、
やっぱり後になって、関節がきしむような
かすかな痛みはある・・・

でも、やっぱり楽しいなぁ、と思う。
特に、二日目、三日目になって、
身体がピアノを弾くことに馴染んで来ると、
あの幸せな瞬間を感じ始めている・・・
ピアノを弾く気力と体力も、
少し戻って来たような気がする・・・

弾ける間は、やっぱり弾き続けよう、
と思った。
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少しだけ再開? [日々の出来事]

こんにちは、お久しぶりです。
少しだけ気力と体力が戻って来たので、
また書こうかな、と思います。

といっても、今後の体調によって、
どのぐらい書けるかはわかりませんし、
もともと勝手なことばかりのこの日記が、
更にひとりごとみたいな日記になるかもしれませんが、
たまたまお目に留まりましたら、
ご覧頂けたらと思います。
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お休みしています。 [日々の出来事]

ブログの更新がなかなかできずにすみません。
先月の旅行も、素敵な出会いはたくさんあったのに、
なかなか記事にすることができずにいます。

体調と気力の問題でしょうか・・・
twitterなどに短い文をつぶやいたり、
お友達のブログ等にコメントをつけたり、
というようなことはできるのですが、
それより長い文章をまとめる力がなかなか出ないこの頃です。

仕事と生活は、低調ながらも何とかこなしている・・・
というか、こなせてはいないけど、
何とか毎日やり過ごしていますが、
こちらの更新はまた、もう少し元気が出て来たら
復活したいと思います。

でも、ウツになってひたすら落ち込んでいる、
という訳ではなくて、
ベランダでゴーヤなんか育てて、
後から後からわいて来るコバエの大群と闘ったり、
ダンナさんとは相変わらず、
バカップルしていたりしますので、
どうぞみなさま
ご心配なきようにお願いいたします。

ではでは、また。(^_^)/
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低空飛行だけど生きてるよ [日々の出来事]

前回の当事者研究で、
ちょっと良い感じをつかんだところで、
大震災が来て、しばらくあわわわ・・・と過ごしていたら、
あっという間に時間が経ってしまいました。

11日、うちは震度5弱でした。
たまたま家に居た私は、金魚の水槽の水がすごい揺れになって来たため、
(揺れが長かったため、水の揺れ増幅されて大波になっていました)
揺れている間ずっと、水槽を押さえていたら、
「ぼっちゃん!」と頭から水をかぶりました。
でも、金魚は無事でした。

私は、震災後のストレスで頭痛や肩こり、地震酔い等になりましたが、
当事者研究のお陰か、休んだり寝込んだりすることに
あんまりひどい罪悪感を持たずに居られるため、
低空飛行ながらも重い抑うつ状態にはならず、
そこそこ笑ったり、ピアノを弾いたり、
ダンナさんといちゃいちゃしたり、
アホなことを考えたりして暮らしています。

地震の後、こんな低空飛行の私でも、
何かできないか、と思い続けています。

地震直後は、マンションの防災ボランティアになって、
14階までの階段を何度も上り下りして掲示物を貼ったり、
(久しぶりの良い運動!)
管理センターの問い合わせ対応の手伝いをしたりしました。
(ちょうど学校がお休みで、比較的家に居たので)

でも、それもとりあえず終了した今、
池袋のtenohasi関係の方や、教会関係の方で、
近く被災地にボランティアに行く予定の方が、
何人もおられる様子・・・
(私が所属するW教会のM牧師も、救援物資を持って、
今度大船渡に行かれます。)

私も何かできたら・・・、
と思うところもあるのですが、
今は自分の体調が悪くて、
現地にボランティアに行っても、
まず自分が寝込んで迷惑をかけることになりそうなので、
自宅に居てできることをしよう、と思います。

今とりあえず、自分が実行しているのは、
みなさんと同じように、節電。

それから、実は普段からうちは、
ペットボトルの水を飲料に使っていたのですが、
それを基本的にやめて、水道水をこしたものにしました。

あと、農産物の風評被害の影響で、スーパーで
茨城、福島、千葉あたりの野菜を見かけなくなりましたが、
(私はずっと買う気まんまんでいたのですが)
ニュースでは、安全基準内のものが捨てられている、
という話をしていたため、
それじゃこちらから買いに行くぞ!と、これに申し込みました。

茨城農産物サポートプロジェクト
 http://www.gokigenfarm.org/0141831
※2000円の野菜BOXを配送。(送料込みで2840円)

あと、こちらは有楽町の催し。
これはいずれ、近くに行ける時があったら、
ぜひ立ち寄ろうと思います。
「買い控えを吹き飛ばせ! 福島・茨城の農家を応援しよう」
http://kotsukaikan-marche.jp/
http://kotsukaikan-marche.jp/pdf/release_110331.pdf

本当は、安全ならば風評被害の野菜を買いましょう、
という方は、たくさんおられるのではないかしら?と思います。
(赤ちゃんやお子さんがいる家は、神経を使った方が
良いようですが、うちみたいに、大人ばかりの家ならばね。)

一般のスーパーもがんばって、風評被害対抗セール、
とかやってくれないかな?
店頭で放射線量測りながら売るとか、
売り上げの何パーセントは義援金になるとか・・・

それから、ダンナさんと話し合って、
5月のゴールデンウィークには、
被災地に近いけど、何とか復旧して
お客さんを待っている観光地とか温泉地に行こう、
ということになりました。
(まだ実際にどこに行くのかは未定です。
多分また、ローカル線に乗って、あわよくば
秘境駅にも行けるようなところになると思います。)

他にも色々と、これはどうかしら?
とアイデア(妄想?)が浮かぶことはありますが、
ここに書くほど固まっていないので、とりあえずここまで。

時々底知れない不安が私の心をおびやかすこともありますが、
(自分の器がちっちゃいことを改めて認識(;o;)・・・
地震直後は余震が怖かったし、今は放射能が怖いよ。)
でも、それだけに、神様に生かされている、ということ、
毎日たくさんのものを頂いて生きている、
ということがよくわかります。
今はそれ以上は言葉になりません。

今日生かされていることに感謝。
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第2回当事者研究 [日々の出来事]

先日の当事者研究より、2週間が経って、
事態は、ほんの少し上向いているように思います。

体調とか仕事の能率などは、相変わらず良くないのですが、
以前よりは心のもち方が楽になって来たように思います。

そこで今日は、第2回のひとり研究会ということで、
まずは、第1回研究会の後、
良かったことを書き出してみます。

☆体調が悪くて休む時に、
これは必要なお休みなんだ、と思うことで、
罪悪感がかなり薄れた。

☆ちゃんとお休みできるので、
身体が気持ち良く動く時間もあるようになった。

☆お料理をする気持ちになって、
しばらく面倒でしなかった、
鯵の南蛮漬けを作ることができた。

☆ホワイトボードにするべきことを書くことで、
頭が整理されて、自分がこれから何をしたら良いか、
前よりもわかるようになって来た。

☆時々変なことを考えつくようになった。
(私が変なことを考えつく、というのは、
調子が良くて私らしい、ということなのです???)

☆腹筋とかストレッチとかを
ゆるゆるとやるようになった。
身体を動かすことが、ちょっとだけ気持ち良い、
と思えるようになった。

☆自分の失敗から、他人に迷惑をかけて、
急いでフォローする仕事を
しなくてはならなくなったのですが、
あんまり自分を責めずに、マイペースでいられたので、
結構良い仕事ができた。

こんなところですかね・・・

そして、今後更に良くする点は・・・

☆もう少し早く寝られると良いかな。
お昼寝をするせいかもしれないけれど、
遅くなってもあんまり眠くならなくて、
12時とか1時まで起きていたりするけれど、
本当は11時頃には寝た方が、体調はもっと良くなると思うし、
ダンナさんにも、もっとすっきりとした顔で、
「おはよう」が言えると思う。

☆ここで「がんばって」しまうと、
絶対に折れてしまうので、
このペースでもうしばらく、ゆるゆるする。

☆一度にいくつものことをしようとしない。
自分が集中することは、一つでかまわない。
その一つがちゃんと出来たら、毎回、
自分で自分をいいこいいこしてあげよう。

とりあえず以上です。

更にダンナさん研究員から何かあったら、
後で足すかもです。
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当事者研究する [日々の出来事]

私は、○うねん期の体調不良になってから、
体調だけではなく、心の方もうつ傾向になり、
日々の仕事や家事をするエネルギー、
毎日を生きるエネルギーのようなものが、
とても低下してしまったように思います。

例えば家事については、
もともと下手な整理整頓や掃除が、
もっと壊滅的にできなくなり、
(断捨離で、少しがんばってはいるけど、
基本的に「やる気」が出ない)

お買い物も忘れ物が多くなり、
(○○のない朝食でがまんする、ということが度々(^_^;))

食事の支度も、ダンナさんの帰りが遅い時は、作らずに、
その辺にあるものを口に入れて、終わりにしたり、

ダンナさんが帰って来ても、以前ほど手のかかるレシピは
作る気力がなくなったり、
(同じようなメニューが短いサイクルで回っていて、
ごめんなさい・・・)

洗濯も、すっかりお洗濯マスターになったダンナさんに
任せきりにしたり・・・

という感じ。

仕事は、前々から準備して備えるのがおっくうで、
前日の夜になってからあわてて準備して、
だから、勉強も準備も足りないまま、
しかも時々寝不足になって翌日仕事に出たり・・・

それから、作曲をしたり、ピアノを弾いたり、
という本業をやっていても、
全体をまとめる力がわかない、
クリエイティブなことを楽しいと思えない、
というような傾向があります。

何か、作っていて、「凡庸だなぁ」と自分で思うような
ものしか出て来ないけど、
でも〆切にとにかく間に合わせる、という感じ・・・

そうそう、この、めう日記も、
「書きたい」というタネをなかなか思いつかなかったり、
思いついても、文としてまとめるエネルギーが
なかったりします。

そんな訳で、最近、仕事がオフの日の過ごし方が、
無気力と葛藤の日になってしまったのです・・・
(T_T)

そこで、私がやってみたこと、それは、

「当事者研究」です!

当事者研究というのは、北海道の浦河にある、
「べてるの家」で行われている取り組みで、
統合失調症等の精神疾患の方々が、これまでのように
治療をお医者さん任せ、お薬任せにしないで、
自分で自分の状態を研究し、より良く生きる道を模索する、
(しかも、一人ではなくて、仲間といっしょに、
どんな深刻なことでも、ワイワイと楽しく研究する)
という、とても大きな効果を産んでいるものなのですが、

この研究は、特に精神疾患という状態でなくても、誰でも、
自分が人生の中で、「苦労」している事柄について、
自分で主体的に研究することができるのです。

池袋の路上のおじさん達でも最近、
その取り組みが始まって、
おじさん達がとても変わり始めているようです・・・

そこで私は、今の自分が落ち込んでいる状況を
図に書いて、そのプロセスを解明してみました。

すると・・・
私のマイナス思考スパイラルが、
とても明確になりました・・・
本当はその図をアップできると良いのですが、
汚く書いてあるので、
とりあえず要点をかいつまんで申し上げると、

私は今、○うねん期のせいで、疲れやすく、
すぐに体調が悪くなるのに、
充分に休もうとしたり、仕事をあきらめて寝ようとすると、
大きな「罪悪感」が出て来て、休めないのです。

まだ、○○ができていないのに、私は寝ちゃうのか?
今日は○○と××と△△をするはずだったのに、
××しかできていない、だから私はダメなやつで、
休む権利などないのだ・・・等々・・・

でも、眠たいのに無理矢理起きていたとしても、
身体が動かないから、結局何もできなくて、
でも、何かしていないと不安だから、
無意味にテレビを見ていたり、
パソコンを見ていたり、iPadをいじっていたりします・・・
あと、食べる方に走って、贅肉を増やしたりも・・・
(^_^;)

そんな時間を過ごしていても、
結局仕事も用事も何も終わらないから、
ますます自分を責める、
でも、身体は動かない、
動くためには休まなくてはならない、
でも罪悪感から休めない・・・・

というような罪悪感のスパイラルが、延々と続いていた、
ということに気がついたのです。

早速会社から帰って来たダンナさんを、
更に研究員に巻き込み、
研究結果を申し述べてみたところ、
やはり当事者研究のことをよく知っているダンナさんは、
「なるほど、すばらしいっ!」とほめてくれました。
(ありがたや・・・ダンナさんも会社で疲れているのに、
私の当事者研究につきあって下さるばかりか、
ほめて下さるなんて・・・)

そして、ダンナさん研究員からは、
自分が疲れている時は、いつもこうしている、とか、
仕事がたまってプレッシャーのある時は、こうしている、とか、
色々なアイデアやアドバイスをしてくれたので、
更に研究は進み、今後の方針も決まったのでした。

それは、翌朝に出勤のない日は、
前日の夜に、次の日にしなければならないこと
(特に、朝一番にすること)を書き出しておく、
ということでした。

変な罪悪感やプレッシャーにとらわれると、
私は、朝一番に、やたらと不安にかられて、
ボーッとしてしまうことが多いので、
朝、とりあえずこれをする、と決めて、
ダンナさんと自分に宣言、ホワイトボードにも
書いておきます。

それは、大して難しいことではなくて、
まず、新聞を読むことだったり、
どこかに忘れずにメールを送ることだったりします。
(あんまり難しいことを朝一番にやろうとすると、
それだけで潰れる可能性があるから(^_^;))

栄えある第一回研究セッション後、
今1週間ぐらい経ったところなのですが、
状態は、めざましい・・・という訳には行きませんが、
少し改善したような気がします。

本当に八方ふさがりだった思考回路に、
小さな穴があいて、少しだけ「やる気」が出て来たみたい。
「あれをやってみよう」ということを
割と楽に考えられるようになって来たことが
うれしいです。

そして、休む時も、
今は身体が辛いので、後でちゃんと動くために休もう、
と思えるようになって来ました。

ううむ、当事者研究、すごいなぁ。
これからも引き続き研究して行こうと思います。
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びっくり! [日々の出来事]

先週木曜日の午後、私達の家から2時間ぐらいかかる、
実家の母から電話がありました。

背中が痛いとのこと。
実は数日前から、痛いと聞いていました。

その時すぐに、かかりつけのお医者さんに行ったのですが、
血液検査の結果は何も悪いところがなく、
とにかく疲労が原因だろう、という診断がおりたので、
(何せ、叔母のことで大変だったから)
ひたすらおうちで休んでいたのです、

でも、木曜日になって、
かえって強くなったようだ、と言います。

そこで、
あんまりひどいようだったら、
もう一度お医者さんに行ったら?とか、
暖めてみたら?ということを言って、電話を切りました。

本当はすぐに行ってあげたかったのですが、
今週中にどうしても仕上げなければならない仕事があって、
それが終わらないと、なかなか身動きが取れなかったのと、
私自身の体調もあまり良くなくて、
すぐに動くのはちょっと辛かったのです。

そして母も、「痛いのよ。」とは言いながら、
声は普通だったので、
大丈夫かな、と思ったこともあります。

でも、夜10時頃、会社から帰って来たダンナさんと
お話していて、
背中の痛みは、心臓から来ることもあるから、
やはり心配だ、もう一度電話してみたら、
ということになり、
電話を入れてみました。

ところが・・・全然出ません。

夜10時だったら、たいてい父か母か、
どちらかが電話に出るのに・・・

でも、たまたまお風呂とか、ちょっとした用事で、
電話に出られなかっただけかもしれないから、
と、時間をおいて何回かかけたのですが、

やっぱり出ません。

父と母の携帯にもかけてみましたが、

出ません。
(携帯はもともと、二人とも「携帯」
していないことが多いんですけれどね。(^_^;))

すると、にわかに心配になって来ました。

「気分が悪くなって、お医者さんに行ったのではないか?」

「救急車でどこかにかつぎ込まれているのではないか?」

「父が寝てしまった後で、
母が一人で倒れていたりするのではないか?」

「いきなり心臓が止まっちゃったりしているのではないか?」

と、嫌な想定がむくむくと沸き上がって来て、
(何たって、二人とも80歳ですから)
ダンナさんが、
「めうさん、これからいっしょに行きましょうか?」
と言ってくれました。

でも、ダンナさんは一日会社で疲れているし、
明日も会社があるんだから、
「私一人で行きます。」と言ったのですが、
ダンナさんは「いっしょに行きましょう。」と、
一度脱いだスーツをもう一度着始めました。
(なんて優しい、ありがたいダンナさんなのでしょう!!)

そして、夜11時近くなって、家を出て、実家に向かいました。
向かいつつ、何度も電話を入れながら・・・

でも、なかなか出てくれません。

なんか、更に嫌な想像が頭の中をかけめぐります。
叔母に引き続き、母も天国に行っちゃうのかなぁ・・・とか、
父が一人で残ったら、困るなぁ・・・とか(^_^;)、

そして、ダンナさんから頂いたiPadで、
母が救急車に乗ったら、恐らく運び込まれるであろう病院の
位置を確かめたり(今のかかりつけ医と連携している病院)、
かかりつけ医の電話番号を調べたりしていました。
(iPadはこういう時、本当に助かるなぁ、と思いました。)

でも、実家まで半分ぐらい来たところで電話をかけると、
やっと母が出て、
「どうしたのー?」とのんきな声。(^_^;)

「あぁ、生きてたー!!」

・・・母によると、夜になってやはり痛みが治まらないので、
夜の9時頃に父の車で、
かかりつけ医のところに行ったそうです。

その先生は昼間の診療に加えて、
患者の緊急時には、夜中でも
診療、往診して下さるような先生なのですが、
母も9時に行ってから、
11時に先生が往診から戻って来られるまで
待っていたとのこと。

でも、そんな夜遅くに、心電図をとって下さって、
異常なしとわかったそうです。
痛みのある時に、異常なし、ということは、
まぁ、心臓については安心して良い、ということのようです。

それで、原因はやはり極度の疲労のせいであろう、
との診断で、帰って来たそうです。

私達は、割としっかりとした母の声を聞いて安心し、
次の駅で電車を降り、タクシーで家に帰りました。
うちに帰りついたのは、1時過ぎでした。

それにしても、今回はびっくりしたり、
心配したり、嫌な想像をしたりしましたが、
色々な教訓を私達に与えてくれたように思います。

ひとつには、そういう緊急時に、
お互いにどう連絡を取り合うかを
きちんと決めておかなくてはならないということ。

あと、順当に行けば、やっぱり私達が両親を
送らなければならない、ということが
身にしみてわかったように思いました。
(頭ではわかっていても、心や身体が
そういうことに直面するのを避けていました)

でもダンナさんはこんな時、自分も疲れているのに、
私の両親のことをいっしょに心配して、
助けてくれることがわかり、改めて感謝しました。

それから、人間的にはものすごく心配はしても、
母には神様がついていて、御心の時に天に帰るのだから、
と思えたことも、良かったです。

母はあれから、ゆっくりと寝たら、
少しだけ痛みが楽になって来たそうです。

お見舞いに、背中を冷やさないように、
○ニクロの○ートテックを送りました。

これから花粉症という試練もある中、
(両親は二人とも花粉症です!)
何とかこの時期を乗り切ってほしいと思います。
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2011今年のほうふ [日々の出来事]

あけましておめでとうございます。

ずっと元気がないまま来てしまいましたが、
この年末年始に色々と考えることがありました。

という訳で、今年のほうふ(抱負)です。

1、仕事や諸活動を整理する。
何と行っても、○うねん期なので、これまでのように、
エイヤッと体力にまかせて色々とやることはできないので、
私が喜びをもってできる仕事量と体力のバランスを、
よく考えようと思います。

2、聖書をもっと読む。
ダンナさんがiPadを買ってくれたら、
重い聖書を持ち歩かなくても聖書を読めたり、
気がついたことをメモできたり、
お祈りの課題もすぐに確かめられたり、
クリスチャン向けのラジオ放送を聞けたりするようになって、
重宝しています。
モノグサな私には合っているツールらしい(^_^;)。
(私はソフトバンクの回し者でも、
りんごちゃんの回し者でもありませんが・・・
りんごちゃんは好きです。)

3、家の中の断捨離を続ける。
昨年の断捨離で、随分と要らないものを捨てたのですが、
まだまだ訳のわからんものがたくさんあるわが家。
妖怪の家はもっとシンプルでなくちゃいかんよね。
(めざせ、鬼太郎の家!)

4、自分の身体のメンテナンスをちゃんとする。
上の1、とも関係しているのですが、
自分の身体に良いことを、ゆるゆるとやりたいと思います。
あくまでも無理せずに・・・
加圧トレーニングも続けようと思います。

あと、高めと言われている、コレステロールも、
病院にちゃんと行って、何とかしよう。

5、自分の家族のことを、もっと考える。
ダンナさんとの生活をまず、しっかりとできるように。
あと、年取って来た、お互いの両親のことも。

6、自分の分を知る。
これも、上の1、とも考え合わせてですが、
神様が、一生かけて、ずっとしなさい、とおっしゃること、
今はそれをしなさい、とおっしゃること、
今はそれをやめなさい、とおっしゃることを、よく聞き分けて、
私の歩みをしっかりとできたらと思います。

7、ネガティブ思考をしない練習をする。
これも、iPadを使って始めたのですが、
「良かったこと」と、「更に良くすること」
だけを書く日記(というか、メモ)をつけ始めました。
べてるの家の当事者研究を自分にもやってみよう、
と思ったのですね。

私はもともと、うつっぽい気質のヒトです。
クリスチャンになって、色々と学んだり気づいたりする中で、
基本的なところはほぼ癒されたように思いますが、
○うねん期に入って体調の低下があると、
心身ともに、もともと弱いところが出て来るのを感じます。
(昔捻挫したところが痛くなるような感じ)
という訳で、しばらく続けてみようと思います。

8、ダンナさんをいっそう愛する。なるべくお尻にしかないようにする。
私は決してそういうつもりはなかったのですが、
ダンナさんはダンナさんで、今年の抱負を
「めうさんの、更に良き座布団になる。」とか言っていて、
そうか〜・・・座布団にしちゃっていたのか〜、と気づいた私。
(だって、座っていることに気づかないぐらい、座り心地良いんだもん♪)
私はとぉ〜〜っても尊敬しているつもりなのですが・・・
もしかしてこれって、イエス様が足を洗って下さる、
というのと似た感じか・・・?
う〜ん、ダンナさん、やっぱり天使だなぁ♡むふ(初のろけ!)

9、バカップルの道を行く。
○うねん期ゆえ、身体がしんどいことは多いのですが、
人生を豊かにする、無駄とか、笑いとか、
そういうものを失ってはいかんのだよ、と思っております。
という訳で、今年もダンナさんとバカップルの道を
突き進むのであります!

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