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R叔母 [日々の出来事]

私には母方の叔母が二人います。
一人は今年の1月に亡くなったY叔母、
もう一人はR叔母です。
R叔母は北陸のY叔母の家の近くに
旦那さんである叔父と二人で住んでいるのですが、
2年程前から認知症の症状が出ていました。
Y叔母が亡くなったショックからか、
今年に入ってからは、症状が悪化しているようでした。

そんなR叔母が、春に胸にしこりがあると言って病院に行ったところ、
乳ガンと診断されました。
しかも両胸から別々にできたガンが見つかったのです。
(ステージは、1と2でした。)

だけど、R叔母の認知症はかなり進んでいて、
ガンの検査を受けることさえ、かなり耐え難かったようです。
とうとう、検査中に大きな音が鳴るMRIは
完全拒否で受けることができませんでした。

それでも他の検査を総合した結果、
ガンを手術で取るべしという診断がおり、
(他の治療は考えられない、というような説明でした。)
先週手術をしました。

81歳になる母といっしょに、
私も手伝い(半分は母の心身のサポート)に行きました。

叔母は手術の前に一通り、
病状の説明を主治医から受けたのですけれど、
乳腺科の先生は、認知症の人に慣れていないようで、
難しい言葉をポンポン使うため、
本人は先生が何を言っているのか、よくわからなかったもよう・・・

一応後で家族が、本人にもわかりそうな言葉で説明すると、
その時は、「ふーん」と納得したような顔をするけれど、
ちょっと時間が経つと、何を説明されたのか、忘れている・・・
時には、自分が何の病気なのかも忘れて、
私はな~んにも悪いところはないんですよ、と
主治医に言ったりしている・・・

そんな叔母が手術なんか受けて大丈夫なのだろうか?
という不安はありましたが、
その病院は、認知症治療でも有名な病院で、
叔母もずっとそこにかかっていたので、
両科でうまく連携して頂けるのだろう、
と思っていました。

でも私達は、認知症の人の手術が、
どんなに本人にとっても周囲にとっても大変なものか、
そして、病院という場所が、認知症の人に関しては、
ほとんどまともなケア方法を持っていないということ、
(認知症で名高い病院で、そこにかかっている患者なのに)
実際に体験するまでわかりませんでした。

術後に麻酔から覚めた叔母が、
どうなったかというと・・・

どうしてこんなに胸が痛いのか、わからない。
どうしてこんな気持ち悪いマスクをつけているのか、わからない。
どうしてこんなに身体を締め付けられているのか、わからない。
どうしてこんなにたくさんの管が身体についているのか、わからない・・・
という訳で、恐怖と怒りで大変なことになっていました。
(若い時には、2回も手術を受けた経験があるのに、
それも全部忘れているようでした。)

私は病院に騙された、こんなひどいことになるなんて、
誰も言っていなかった、
こんなところに来るんじゃなかった、
早くこんなもの全部はずして、家に帰る、
こんなに辛いんだったら、もう殺してくれ・・・

そして、わずかに動く手で、管をもぎ取ろうとしたり、
傷口を締め付けているバンドを取ろうとしたり、
酸素マスクをはずそうとしたりしました。

私達(家族と看護士さん達)はその度に、
これはどうしても今、治療のために必要なものだから、
今だけがまんしてね、辛い思いをさせてごめんね・・・
となだめながら、何とか管やバンドの保持に努めましたが、
そういった抵抗は、叔母が起きている間はずっと続くので、
かなり大変でした。

更に二日目になって、少し身体が動くようになると、
怒って実際に強い力で管を引きちぎろうとするようになったり、
帰る、と言って、ベッドから起き上がって歩き出したり、
(それだけ身体は元気になって、めでたいことなのですが)
ますます目が離せなくなりました。

そこで、本来は完全看護の病院なのに、
夜間も家族の誰かが泊まって付き添ってくれないか、
と言われました。

でも・・・そこに居たのは、
叔母の旦那さんと、息子(私には従弟)と母と私。
従弟にはなかなか休暇も取れない仕事があって、
術後3日目は、もう家に帰らなくてはならない。
そして、母も叔父も高齢で、夜中付き添ったりしたら、
絶対に倒れる・・・(昼間の付き添いだけで、かなりへとへとになっている)

私が付き添おうか?と言ったのですけれど、
私も更年期のさなかであり、母のサポートも必要なので、
一晩ぐらいは可能でも、毎夜付き添うのは無理だろう・・・ということで、
夜中は専門の付き添いの方を頼もう、ということになりました。

本当は家族しか付き添いができない決まりがあるそうなのですが、
背に腹は代えられない、ということで、
現場の看護士や医師の方も許して下さったので、
すぐに手配しました。

来てくれる方はすぐに決まり、あー良かった、これで何とかなる、
と、病室に簡易ベッドを運んで頂いて、準備していたところ、
いきなり病院の上層部から、
家族以外の付き添いは絶対にダメ、というお達しが来ました。

更に、夜中に家族が付き添えないのならば、
夜中に本人が暴れた時には、「抑制」しても良いという
同意書を書け、という・・・

つまりは、叔母の手足をベッドに縛り付けるということ・・・

げっ・・・何考えとんのじゃ!?この病院!

叔母はこの病院の神経内科で認知症の治療も受けているのに、
その病院の出す答えが、人を縛ることかいっ!?

そんな野蛮なやり方が、まだ病院にはあるのかいっ!?

かなり驚きました。
ハラワタが煮えくり返りました。
叔母がこれまで、「病院に騙された」と言っていたけれど、
本当に私達は騙されていたんだ・・・
「すぐに帰ろう」と言っていた叔母は、正しかったんだ・・・

私はこれまで、一生懸命に叔母をなだめて、
何とか治療を継続しようとしていたことが、
すべて水泡に帰したように感じて、力が抜けてしまいました。

叔父はそれでも、その同意書にサインしました。

私は・・・もしもこれが自分の親だったら・・・
すぐに認知症患者を縛らずに治療してくれる病院を探して、
できるだけ早く転院させていたと思います。
(実際にとても少ないけれど、そういう方針の病院もあるようですし)

でも、私は叔母の娘ではないから、
家族である叔父と従弟が叔母を縛ることを決めるのならば、
それを非難する資格はないのだ、

またもしも私が、叔母を無理矢理転院させるとしたら、
それは叔母の家庭を踏み荒らすことであり、
私の自己満足でしかない・・・

それでもその日は宿に帰って、
ず~っと割り切れない気持ちで居ました。
本当にこれで良いのか、
私は神様の前に恥ずかしいことをして逃げて来たのではないか?
ずっと自問自答していました・・・

私は26日の夕方に帰って来ました。
(仕事の都合でそれ以上は居られなかったのです。)
26日までは、実際には縛られることなく、済んでいました。
(現場の看護士さん達は、よく訓練されていて、
荒れる叔母に対しても、忍耐強く優しく接して下さっています。
極力縛らずに済むように、夜は睡眠薬を使うなど、
配慮をして下さっています。
そう、現場の方はとてもすばらしいのです。)
今は叔父が一人で看病し、休みの日に従弟が行っています。

あれからどうなったか、まだ連絡はありません・・・

叔母は、本当に手術を受けるべきだったのでしょうか・・・?
あるいは、ガンが完治できなくても、
寿命がつきるまで、なるべく悪化させないように、
痛みができるだけないようにしながら、
叔母が平安に過ごせるような時間を作って行くことは、
できなかったのでしょうか?
(今になって、もっと、そういう方針の病院を探して、
セカンドオピニオンを頂けば良かった、と思います。
実際これが自分の親だったら、私はそうしていたかも・・・)

手術と入院を通して、叔母の心はズタズタになり、
認知症が進んだことは確実です・・・
今回叔母を見ていてわかったことは、
普通の人ならば苦しみながらも何とか耐えられることが、
認知症の人には、理由や状況がわからない分、
何倍も耐え難い恐怖や怒りになり、
その人の心を切り刻むのだ、ということでした。

しかも今回、手術で大変な思いをしているのに、
更に安全のためと、手足を縛られたりしたら、
それは普通の人であっても、耐え難いことなのに、
認知症の叔母には、殺されるにも等しい恐怖を
経験させることになるのではないか、と思います。
いくら扱いにくい認知症になったからと言って、
人の晩年がこんな風であって良いのでしょうか?

こんな、病気を見て人を見ないような貧しい医療のあり方が、
日本にはまだまだ、普通のこととしてまかり通っているのだなぁ・・・

そして私達はどうしようもなく無力だなぁ・・・

はぁ・・・(-_-;)

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